病名がついてやっと具体的な治療の始まりです。確か22歳か23歳のときです。メルカゾールという抗甲状腺薬をまずは毎朝4錠飲むように指示されました。それと同時に、厳密に言うと副作用とは違うのですが、ある変化が私の体に起こりました。1ヵ月で5kg太ったんです。
考えてみれば、甲状腺機能亢進症で燃費が悪い状態の体に、薬を入れることで一気にホルモンバランスを正常に戻したわけで、つまり燃費が良くなったんです。同じ食事をしていても、早く満腹感がやってくるんです。そこで、食欲に忠実に食事の量をコントロールすればよかったんですが、私は何だか変だなーと思いながら普通に食べつづけてしまいました。その間僅か1ヵ月でした。あっというまに58kgから63kgに増えた私の体重は、その後何をしても60kgを切ることは無かったのでした。(ちなみに中年に差し掛かった現在は、もう少し重くなっています)
しばらくは毎週の通院で、検査をしながら薬の量を調節していたようでした。メルカゾールの量は、1日4錠が確か最初の1ヵ月ほどで、その後1日2錠が半年ほどあり通院は1週おきに、それからしばらく1日1錠の時代になって、通院も月に1回に減ったのでした。
発病して2〜3年経った頃、他にも理由はあったのですが、当時勤めていた販売の仕事をやめることにしました。数ヵ月の休職期間を経て、25歳のとき次に就職したのは病院の事務。この時点でメルカゾールは1日1錠まで減っています。この仕事は、肉体的にはとても楽でしたが、正直言って精神的…人間関係的にかなりしんどいものがありました。仕事自体も、楽ではあったけど自分にとっては魅力を感じられない物でもありました。
病院に勤めて確か2年弱の27歳の頃、知人の紹介でもともと興味のあったタウン誌の編集部での仕事が転がり込んできたんです。そこに転職した後で、メルカゾールの量が1日おき1錠に減り、通院も2ヵ月に1回になりました。つまり病気がどんどんよくなって行ったんです。
決して仕事が楽だったわけではありません。販売のときは、朝10時から夜7時まで拘束で、不定期に月4日休み。病院のときは、朝は早くて8時半から夜は6時までで、木曜と土曜は半ドンの日曜休み。編集部は、一応日曜休みの10時から7時だったけど、締め切り前には泊まり込みアリ徹夜アリ、丸2日ぶっ通しで原稿を書いていたこともありました。おまけに毎日田舎道を車で通勤(それまではペーパードライバーで車も持っていませんでした)とどれもこれも生まれて初めての厳しい環境だったんです。時間は全てうろ覚えですが、だいたいこんな物でした。
時間的には一番楽だったにもかかわらず、病院時代は決定的に病気がよくなるわけでもありませんでした。甲状腺ホルモンのT3とT4は正常値になったけど、脳下垂体から出るはずの甲状腺刺激ホルモンTSHの値が上がってこない、ドクターはそう言っていました。
ですが、むしろ最も労働条件が過酷で給料も不安定だった編集部時代に病状は安定しだし、TSHの値も正常の範囲で落ち着いたんです。なので29歳の時には一旦メルカゾールを飲むのを止めてみるまでになったんです。薬は飲まずに、2ヵ月に1回病院に行って検査をして経過を見る、体調も良く、とても安定した時期でした。
ところが、またしても縁あって、別の編集部から声をかけられ、今住んでいる街に出てくる話が突然持ち上がったんです。多分二度と無いチャンスで、願ってもない物凄くいい話。でも、今手がけている仕事はあるわけで、余分な人員も居ない状態でそう簡単に辞めることは出来ません。大急ぎでボスに掛け合って仕事をまとめ引継ぎをする一方で、初めての独り暮しの準備をすすめなくてはならない。物凄く嬉しいことではあるけど、これまた物凄いストレスであることも間違いありません。単純に仕事量も増えましたけど、むしろ精神的重圧の方が大きかったと思います。あっけなく、甲状腺の病気は再発してしまったのでした。
この一連の流れを見ていて、身を持って実感したのは、甲状腺機能亢進症は、肉体的な疲労よりも、精神的な重圧の方がより病状を左右する、ということです。この流れは、今住んでいる街に出てきてから私の身に起こったひと波乱ふた波乱に、病状がぴったりシンクロしていることからも証明できます。
ともあれ、引越荷物の中に、ドクターに大急ぎで作ってもらった紹介状を押し込み、再発してしまった甲状腺に少しの不安を抱きつつ、新天地へと旅立ったのでした。30歳のときでした。
Close.△